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長年、地元を見続けてきた方のご紹介『集酉楽サカタニ 酒谷義郎』さん
集酉楽サカタニ月刊情報誌『とんからりん』200号発行記念インタビュー
1934年生まれ。現在のお歳を聞くととても驚きます。
とてもそんな年齢には見えず、お元気な方。
それが今回ご紹介する、集酉楽サカタニ 代表取締役 酒谷 義郎さん。
毎朝4時半に起床。乾布摩擦と体操、竹刀を100回振って61回の腹筋をする。
朝粥を食べて出社。毎朝のローテーションが組まれた毎日はきっとお元気な身体の基礎になっているんでしょう。
月刊情報紙『とんからりん』誕生のお話
この情報紙は酒谷さんの手作り。会員様に向けてお得な情報と共に毎月、配達の際にお渡しされているものだそうです。
なんともすごいのが、パソコンを老眼鏡なしで扱い、印刷から製本までご自身でなさっているんです。
平成7年、酒屋さんの有志でつくられたグループで発行したのが始まり。
ですがいろいろな事情から、酒谷さんが一人で続けていかれることになったのです。
何かのタイミングでタイトルの変更を考えておられた平成9年ごろ、東京で親子が餓死するニュースを知り、地域の繋がりなどが薄くなっている現状を目の当たりにされました。
その時思いついたのが『とんからりん』。戦争の時代、地域の関係を大切にしていた時代描写を描いた『世界隣組』という歌詞からヒントを得て、『とんとん とんからりと 隣組』という歌詞からつけたそうです。
それから月1回の発行を目標に、平成28年5月号の今回で200号発行に至ったということです!!
今まで発行されたものを大事にファイリング。
それにしても200号もあるとすごい数です!!
唯一、残っていなかった記事
これだけしっかり残してこられた過去の記事。
唯一、ご自身で削除されたものがあるそうです。それはお母様の記事。
酒谷さんには弟さんと妹さんが居られます。母親の違うご兄弟。
酒谷さんにとっては多感な時期に複雑な思いをされたようで・・・(以下敬称省略)
酒谷 義郎さん。風邪もひかず病気もせず。
とても元気にまだまだ現役で店頭に立たれています。
まいぷれ『酒谷さんにとって想い出に残っている記事は?』
酒谷『【荒城の月】っていう記事やね。母が亡くなるときに霊柩車がでる時バックミュージックで流してほしいと妹に頼んでいたらしいんです。その日のことを書いた記事が印象に残っています。』
まいぷれ『想い出の曲ですか?』
酒谷『私にとっては母との想い出の曲。私が小学生の頃、歌が得意でね。【荒城の月】を独唱で歌ったんよ。もちろん母も見に来てくれてね。
そのあと弟が産れ、妹が産れて関係がぎくしゃくしていった。そのまま私は家を飛び出して祖母の家で暮らすようになったんです。最後に私との想い出の曲を流すことで、今までのことを許してくれっていう思いやったのかなと勝手に解釈したんです。ただ、段取りが悪くてね(笑)うまく流せなかったんです。
そのまま火葬場へ移動して、待ち時間があってね。たまたまつけた
テレビから【荒城の月】が流れてきて。
もうビックリしましたよ。母に
『ちゃんと流してよ!あんたらあかんし自分でやるわ』といわれているようでした。(笑)』
まいぷれ『すごいタイミングですね!!でも、そのことを記事にされたんですよね?なぜ削除されたんですか?』
酒谷『続きがあってね。弟のお嫁さんが小説や読み物を書いてはる人でね。この話を全く別でエッセイとして出版されたんです。
それと自分が書いた『とんからりん』の記事との差が歴然としていてもう嫌になってね。自分も物書きとして新聞のようなものを作っていたからなおさら嫌になってデーターから全部捨てたんです!!』
まいぷれ『えっ!!データーもですか?!』
酒谷『そう。納得がいかなくて。それで唯一無くなった記事として今でも印象に残っているんです。』
まいぷれ『200号ある中で、唯一歯抜けになっているなんて。もったいない・・・。じゃあもう見れない幻の記事なんですね・・・。』
酒谷『いや、それがね。実は最近
見つかったんですよ!ずっと私の『とんからりん』を残してくださっていた方がいまして。200号を目前に全部揃ったんです!!』
まいぷれ『
すごいことの連続ですね!偶然がたくさん!!全刊号揃って200号が迎えられるのはどこか感慨深いものがありますね。』
酒谷『昔からそういう偶然的な運命的なことがよく起こるんですよ!!』
ちなみにこの『とんからりん』は集酉楽サカタニさんのホームページでもお読み頂けるほか、店頭にも置いてありますので、ぜひ一度お読みください!!
地域のお話や、地元出身アーティスト『フラリーパッド』のマネージャーさんなんかも記事を投稿されています。 過去は政治活動も。
まいぷれ『先ほどちらっと話されていましたが、新聞記者さんを目指しておられたんですか?』
酒谷『そうやね。学生の頃、成績が追い付かなくて新聞部に入れなかったんです。大学生になり「破防法反対」で『左翼』に。
地域では政治活動もしましたよ。』
まいぷれ『そうなんですね!!そこからなぜ酒屋を?』
酒谷『父が商売上の失敗で
私が会社整理をしたんです。その時、債権者の方に私が
酒屋に入ることが条件で立て直しを手伝うと言われ、泣く泣く酒屋を継ぐことになって。
日中は酒屋、休日は政治活動と、二足のわらじで頑張っていたんです。』
まいぷれ『酒屋をやりながらの政治活動。すごいですね。その当時からパワフルだったんですね!!地域活動で何か印象深いことってありますか?』
酒谷『
七条通りをきれいにしたことかな。
昔は市電が走っていたでしょ。それが撤去された後ってどうしても道路が盛り上がるんです。七条通り(集酉楽サカタニ前)も盛り上がってしまっていて見た目にも生活にも悪い。それを平らにしたくて地域の仲間と力を合わせて何とかしようとがんばったんですよ。でも、なかなか予算を充ててくれなくてね。
そこで、当時では珍しい
テレビを使って訴えたんです。KBS京都に制作をお願いしましてね。そしたら、それまで渋っていた役所が
一発でOK出してくれたんです!!それで今の平らな七条通りになったわけです。』
まいぷれ『
七条には思い入れが強いんですね。』
酒谷『そうやね。七条大橋もそうやし、
大事にしていかないといけないと思っています。』
最後にひと花!!
(左)酒谷 義郎さん
(右)弟の酒谷 宗男さん
酒屋さんとして商売を続けてこられた酒谷さん。
現在、店舗の1階はコンビニエンスストア、2階はギャラリーカフェとゆったりお酒を選んでもられるようなスペースになっています。
2階のギャラリーカフェはこれまで大切にしてきた『繋がり』をカタチにできるスペースということで、地域の方とのつながりやコミュニケーションの取れる場、皆さんに楽しんでもらえるように、集ってもらえるように『集酉楽』と名付けたそうです。
酒谷『今までも散々いろいろな楽しいことをしてきたけど、私もこんな歳でしょ。もうできることも限られてきているかなと最近思うんです。
でもまだ老眼鏡もなしにパソコンに向かえているので『とんからりん』はまだまだ続けます。今でこそ毎回コーナーをもっていただいている方もいらっしゃいますし、ありがたいことです。どれくらいの方が読んでくださっているかわかりませんが、まだまだ頑張りますよ!!』
力強く今後をお話しくださった酒谷さん。
まだまだ地域の為に様々なことを考えていらっしゃるようで。
酒谷『最後に面白いことしてやろうと企んでいます。何が起こるかわからないですが、自分の人生最後にドカンとやってやりたいなと考えています。』
どこまでもストイックな酒谷さん。
これからも地域の為に、ご自身の為に納得のいくことをとことんやり通していってください!!(私が偉そうに言えることではないですが・・・。)
地域を盛り上げていく同じ仲間として、後輩として、陰ながら応援しています!!
今回は貴重なお時間をありがとうございました!!
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